長男が18歳になりました。
今でも時々言います。「本当はサッカーがやりたかった」と。
小学1年生の息子に言った言葉
長男が小学1年生のとき、サッカーをやりたいと言いました。
友達がやっていて、楽しそうで、自分もやってみたいと思ったのだと思います。それだけのことです。
夫の返事はこうでした。
「お前がサッカーするなら、俺は一生応援に行かない」
小学1年生に言う言葉じゃない、と今でも思います。
子どもなりに考えた末の選択
それでも長男は、野球を選びました。
親に応援してきてほしい。試合を見てほしい。それは子どもとして当たり前の気持ちです。サッカーをやりたい気持ちより、父親に来てほしい気持ちの方が勝った。
子どもなりに、精一杯考えた末の選択だったと思います。その健気さが、今でも胸に刺さっています。
夫は高校で野球を諦めた人
皮肉なことに、夫自身は高校で怪我をして野球を諦めています。
部活もやめて、遊んでいたと自分で言う。それを武勇伝のように話すこともある。
自分が諦めたものを、息子に押しつけた。自分がやり切れなかった野球を、息子に背負わせた。そう見えてしまうのは私だけでしょうか。
自主トレもしない息子に毎日チェックが入る
長男が野球を続ける中で、夫は毎日のように確認します。
自主トレをしたか。素振りはしたか。走り込みはしたか。
でも夫自身は何もしない。一緒に練習するわけでも、教えるわけでもない。ただチェックして、できていないと不機嫌になる。
息子が追い詰められていくのが、傍から見ていてわかりました。
長男の「本当はサッカーがやりたかった」
高校まで野球を続けた長男が、18歳になった今も言います。
「本当はサッカーがやりたかった」
笑いながら言うけれど、笑えない言葉です。小学1年生のときに摘まれた夢が、今もそこにある。
私はその言葉を聞くたびに、あの日夫が言った「一生応援に行かない」という言葉を思い出します。
子どもへの影響を、もっと早く止めるべきだった
夫の束縛は、私だけじゃなく子どもたちにも向いていました。
止められなかった自分への後悔もあります。でも当時の私には、夫に対して「それは違う」と言える力がなかった。
今の私なら言えます。「子どもの夢を、親の都合で奪うな」と。
遅かったけれど、今からでも子どもたちの話をちゃんと聞ける親でいたいと思っています。

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