夫はよく言います。
「俺はセンスがあったから、努力せんでも中学までずっとレギュラーやった。4番でショートや」
本人にとっては誇りなのかもしれない。でも聞いている側は、だんだん冷めていきます。
高校で野球を諦めた人が、息子に言い続ける
夫は高校で怪我をして、野球を諦めました。部活もやめて、遊んでいたと自分で言う。それを「まあそれはそれで楽しかった」と笑いながら話す。
でも息子には「もっと必死にやれ」「悔し涙を流せ」「努力が見えない」と言い続ける。
自分は高校で諦めたのに。自分は必死にやり切っていないのに。
その矛盾を、息子はとっくに気づいていると思います。
息子の本音「尊敬するところがない」
息子は口には出さないけれど、おそらくこう思っているんじゃないかと感じます。
「高校で遊んでたやつに、なんで言われなあかんのや」
子どもはよく見ています。父親が何をしてきたか、何をしていないか、ちゃんと見ている。
背中を見せられない父親の言葉は、子どもの心に届かない。届かないどころか、反発を生む。
センスの話より、続けた話をしてほしかった
「俺はセンスがあった」より、「俺はこういう失敗をした」「こういうことを後悔している」という話の方が、息子の心には響いたんじゃないかと思います。
完璧じゃなくていい。諦めた過去があってもいい。でも「だから俺みたいになるな」という言葉の方が、「センスがあった俺を見習え」より、ずっと子どもに刺さる。
私が息子に伝えたいこと
夫には言えないことを、息子には伝えたいと思っています。
好きなことをやっていい。諦めた夢があるなら、今からでも触れていい。誰かに押しつけられた頑張りじゃなく、自分が燃える何かを見つけてほしい。
18歳の息子は、まだまだこれからです。

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