今では3人の子どもの母ですが、実は結婚してから7年間、子どもを授かることができませんでした。
結婚したら、そのうち自然に子どもができる。
若い頃の私は、そんなふうに思っていました。
最初の1年は特に気にしていませんでした。
「そのうちできるよね」
夫婦でそう話していました。
でも2年、3年と過ぎても妊娠しない。
周りの友人たちは次々と母親になっていきました。
焦りと不安が少しずつ大きくなっていきました。
私は当時、フルタイムで働いていました。
不妊治療のために病院へ通うには、仕事との両立が必要でした。
診察の日は早退したり、有給を使ったり。
職場には治療のことを話していましたが、今のように不妊治療への理解がある時代ではありませんでした。
ある日、上司からこんなことを言われました。
「試験官ベイビーでも作ってるのか?」
今なら問題になるような発言かもしれません。
でも当時は笑ってごまかすしかありませんでした。
周りも笑っていました。
私も笑いました。
でも心の中では泣いていました。
子どもが欲しくて病院へ通っている。
毎月期待しては落ち込んでいる。
そんな気持ちを誰も知らない。
知らないからこそ言える言葉だったのでしょう。
でも、その一言は今でも忘れられません。
病院では検査を受けました。
毎月、生理が来るたびに落ち込みました。
期待しては落ち込む。
また期待しては落ち込む。
その繰り返しでした。
不妊治療は体だけでなく、心も疲れます。
そして仕事をしながら続けるのは想像以上に大変でした。
通院の予定を調整すること。
職場の理解を得ること。
結果が出ない焦りを抱えながら働くこと。
どれも簡単ではありませんでした。
それでも私は諦められませんでした。
子どもが欲しかった。
ただそれだけでした。
今振り返ると、あの7年間は私の人生の中でも特別な時間だったと思います。
苦しかった。
辛かった。
何度も泣きました。
でもあの時間があったからこそ、命の重みや家族の大切さを深く知ることができたのかもしれません。
次回は、人工授精を繰り返していた頃のことを書こうと思います。
希望と絶望を何度も行き来した、あの頃の話です。

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